“維”旅レポート
第3回 雄飛太鼓 嘉数義光 (かかず よしみつ) さん
“維”旅レポート第3回目は、ググっと足を延ばして、沖縄県国頭郡金武町で活動する「雄飛太鼓(ゆうひだいこ)」さんにお邪魔しました。
まずは練習を拝見させていただきました。
リーダーとして色々と支持を出しているのは大学生の男の子ですが、メンバーは幼稚園生から中学生までのとっても若いチーム。
皆さんが練習しているところに入ると、すごい熱気!
みんな一生懸命に太鼓に向かっていました。
何かアドバイスを・・・とのことだったので、ちょっとした打ち方のコツを教えたら、みんなすぐに順応。
それによって、同じ曲がさらにインパクトのある音を持って聞こえてきました。
すごいの一言。
練習を見せてもらったお礼に、演奏させていただきました。
太鼓の打ち方は様々だし、自由だから、良いと思った部分を少しでも盗んでくれたらいいなと思います。
次会うのが楽しみです。
練習後、代表の嘉数義光さんからお話を聞かせていただきました。
嘉数さんが和太鼓に出会ったのはもう40年近く前。高校生の頃だそうです。
沖縄に佐渡の和太鼓チーム(おそらく鬼太鼓座)が来て、それを母親と観に行ったときに、ものすごい衝撃を受けたそうです。
「もう心臓にドーンドーンと響くんですよ!いやぁ、衝撃的でした。」
その時から沖縄に太鼓集団を作りたいという想いが芽生え、それが消えることなくずっと続き、24歳で公民館に就職した時に、沖縄の伝統芸能も作りながら、ようやく念願の和太鼓を買って揃え始めたそうです。
でも指導方法などがわからず、しばらくはそのままで時々嘉数さんが叩いていたくらいだったそうです。
そんな折、沖縄本島の北西にあって、琉球王国第二尚氏の初代国王である尚円王が生まれた伊是名島で活動する「尚円太鼓」という和太鼓チームが、ヨーロッパ公演を成功させ、沖縄本島でも公演をした時に、嘉数さんも観に行き、終演後すぐに楽屋へ行き指導をお願いしたそうです。
ちょっと脱線しますが、沖縄の島々には「15の春」という言葉があって
高校が無い島の子どもたちは中学を卒業すると島を出て、親元を離れ、高校のある地域へと行き、寮や一人暮らし、または親戚を頼ったりしながら学生生活をしていかなくてはならない、それを「15の春」という言葉で言い表されるそうです。
伊是名島にも高校が無く、尚円太鼓の子どもたちも「15の春」を迎えると、太鼓をやめて島を出なくてはならず、嘉数さんの話を聞いた尚円太鼓の方が、それならば・・・ということで、雄飛太鼓を作り尚円太鼓の高校生たちがそこで指導することになったそうです。
本島に行ってバラバラになった尚円太鼓のメンバーも、雄飛太鼓にいることで仲間たちに会える、そんなきっかけを作ったチームでもあったわけです。
尚円太鼓と雄飛太鼓は兄弟チームみたいな感じですね。
伊是名島の「尚円王まつり」の時に、雄飛太鼓さんは島に渡って尚円太鼓さんと一緒に演奏しているそうです。
昨年は自分もそのお祭りに出演させていただき、その兄弟のような2チームと共演しました。その時から交流が続いて今回、雄飛太鼓さんを取材させていただきました。いつか尚円太鼓の皆さんも取材したいなと思ってます。
そんな尚円太鼓と嘉数さんの出会いから雄飛太鼓が生まれ、今年で10年を迎えるそうです。
その間に約250人くらいが会員となって巣立っていったそうです。
なぜ雄飛太鼓というチーム名なのか聞いてみると、
「ここ金武町の並里という土地は海外雄飛の地なんです。明治32年に移民を開始し、ハワイ、アメリカ、南米に出稼ぎに行き、その送金が国を立て直すほどだったんです。そんな先人達の雄飛から取って雄飛太鼓としたんですよ。」
雄飛太鼓は会員自身で会費を集めながら、しっかりと自立した団体として活動していて、
金武町のイベントに数多く出演し、地域活性にも力を注いでいる団体でもありました。
今年に入ってからの本番は、もうすでに17回を数えるそう。
1ヶ月に3本のペース・・・それは舞台度胸がつきますね。
和太鼓の魅力、今回も聞いてみました。
「私自身沖縄の伝統芸能をやってきました。エイサーなどもやってましたしね。それでね、音楽に合わせて、エイサーの太鼓を打ったり、踊ったりはある程度練習すればできるんです。
しかし和太鼓は、その音楽が無いんです。音楽なしの太鼓は難しいです。その難しさも魅力ですし、自ら出す太鼓の音で自らを奮い立たせる、これもすごいですよね。
なにか、こう、日本人の心を奮い立たせるような魅力がある。
エイサーの太鼓もね、カチャーシーも、私たちの体を揺れ動かす魅力があるんですけどね、
和太鼓はまた違った、心に響いてくる、心に安心感を与える、スッキリする何かがあるんだなぁ。
和太鼓を聞いた時には、琉球人でありながら、日本人であるということを実感しますね。」
エイサーの太鼓と和太鼓については
「エイサーは祈り、和太鼓は浄化、のような気がしますね。」
という印象深い言葉がありました。
話も終盤の頃に、一つ繋がった共通点がありました。
嘉数さんが観た40年前のステージには林英哲さんがいたそうで、その英哲さんがいる鬼太鼓座を見て、和太鼓への強い強い想いが始まったそうですが、
自分も13年前に林英哲さんの舞台を観て、その太鼓におけるステージでの表現力と美しさ、そして可能性を衝撃と共に受け、プロ奏者になろうと決意したのです。
場所も年齢も、時間も越えて、共通の人がこの太鼓への道にいざなったと思うと、なんだか一気に心が近くなったような気がしました。
嘉数さんと自分と、より深く“維”がった瞬間を味わいました。
話は尽きず、練習後の時間だったので、後ろ髪を引っ張られるような感じで話を終えました。
子どもたちもずっと近くにいてくれて、雄飛太鼓の温かさを感じることができました。
<雄飛>という言葉には「大きな志を抱いて、盛んに活動すること」とあります。
まさしく、その言葉を嘉数さんが身を持って子どもたちに教えているようでした。
子どもたちに向けて話す嘉数さんと雄飛太鼓のメンバーを見ていると、その子どもたちと和太鼓との素敵な未来図が見えてきそうでした。
和太鼓で“維”がる人と人、そして“維”げていく未来。
これからの活動が楽しみです。
<雄飛>という言葉の意味は、自分にとっても重みのある言葉。
しっかりとその言葉を胸に、自分も頑張りたいと思います。
嘉数さん、雄飛太鼓のメンバーの皆さん、ありがとうございました!
また会えるのを楽しみにしてます!
練習後にみんなで1枚。
取材日 2013.6.28